受験勉強が辛いとき用のモチベーション記事|絶望が合格につながった

 

今回は『受験勉強が辛いとき用のモチベーション記事|絶望が合格につながった』について紹介したいと思います。

 

私はイスにもまともに座れず、全統模試で全科目の偏差値が39の状態から東工大に逆転合格をしました。

 

しかし、その結果に至るまでにたくさんの絶望を経験しました。

 

死にたい。

 

親の前でそうつぶやいたこともありました。

 

そんな状態から、なぜ毎日10時間を超える勉強をし続け、東工大に合格できたのか。

 

私の受験期に起きたことすべてを話したいと思います。

 

 

大学受験を意識 高校二年1月

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時は高校二年1月に遡ります。この時の私の学力は中学一年生レベル。

 

英語はbe動詞が分からない。数学は因数分解すらできない。他の科目なんて論外です。

 

もちろん、成績も学年で最下位。先生たちからも目をつけられていました。

 

しかし、この時は成績こそ悪けれど、学校生活が楽しくて仕方がありませんでした。

 

クラスにはたくさんの仲のいい友達。部活も楽しくて、毎日が幸せでした。

 

そんな夢のような日々の中、学校に受験ムードが漂い始めました。

 

受験勉強開始 高校二年2月

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この時期に、ようやく志望大学が確定します。

 

目指すは東京工業大学。選んだ理由は、それほど大したものではありません。

 

とにかく偏差値の高い大学、かつ国語のセンスがなくても合格できそうなところ。その条件にマッチしているのが東工大でした。

 

しかし、今までほとんど勉強をしたことがなかったため、何をすればいいのか分かりません。

 

イスにすらおとなしく座れなかった私は、まずは座る練習から始めました。毎日少しずつ座る時間を増やし、ようやく数時間ほど勉強ができる体になりました。

 

とはいっても、今までサボってきた大きなツケがあるので、まずは周りのレベルまで死ぬ気で追い付かなければなりません。

 

難関の東工大志望であるにもかかわらず、一般的な基礎レベルですらほど遠かった私は、焦りを感じていました。勉強をするようになり、自分の学力の低さを理解したのです。

 

この頃から、毎日のように不安に駆られました。

 

このままじゃ東工大どころか、受かる大学があるのかも分からない。

 

不安で仕方がありませんでした。もっと受験に本気になって、命を削ってでも勉強をしないといけない。

 

そう思った私は、志望大学を「同級生」「先生」「親」に伝え、”必ず合格してやる”と宣言しました。

 

もちろん、学年最下位の言うことなんて誰も信じません。「口で言っているだけだろ」と、いつものように冗談と捉えられます。

 

しかし、朝早くから学校に行って勉強、休み時間も勉強、放課後も勉強。そんな生活をしているうちに、徐々に周りが信じ始めました。

 

ただ、本気で応援してくれる人も一部いたのですが、私が偏差値の高い大学を目指すことを、よく思わない人もたくさんいました。

 

絶望のはじまり 高校二年3月

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そんなある日。ぼくの携帯電話に1通のメッセージが届きました。

 

みんな知ってると思うけど、マネーキン(筆者)が東工大を目指してるらしいぞ。

 

あんな成績でよくそんなこと言えるよな。

 

可能性なんてないのに、キモすぎ。死ねばいいのに。

 

クラスのグループにこのメッセージが届いた時、目を疑いました。

 

個人宛に送るメッセージを、間違えてグループに送ってしまったんだな。

 

自分の心を守るために、そう言い聞かせていました。

 

しかし、それは誤って送ったメッセージなんかではありませんでした。

 

そのメッセージがグループに投下された直後、それに続いて次々と色んな人が私に対する誹謗中傷のメッセージを発信のです。

 

本当にそうだよな。調子に乗りすぎ。頭悪いのに努力しても無駄。

 

携帯を持っている手の震えが止まりませんでした。

 

今まで味方だと思っていた人の多くが、一夜にして敵になったのです。

 

そして翌日。目が覚めた私は、体が重くてしばらく立ち上がることができませんでした。

 

でも、ここで学校に行かなくなってしまったら負けた気がする。それだけは絶対に嫌だったので、なんとか立ち上がり、いつものように学校へ向かいました。

 

教室に着き扉を開けると、皆が一斉にこちらを向き、そしてその直後にクスクス笑い始めました。

 

昨日の一件があったのに、よく学校に来れたな。

 

笑い声と共に、そんな言葉が耳に入ります。気にしたり、反応したら負け。私はそう自分に言い聞かせ、何事もなかったかのように勉強を始めました。

 

私の席は窓際でした。ホームルームが始まるまで勉強をしていると、何かが前髪をかすめ、そして直後に大きな音を立てて窓に直撃しました。

 

見てみると、そこには先のとがったシャープペンシルが落ちています。

 

何が起きたのか分からず、それが飛んできた方向を見てみると、そこには輪ゴムで作ったパチンコのようなものを持っているクラスメイトがいました。

 

おしい、あとちょっとだったのにな。

 

そのクラスメイトは、そう口にしました。

 

何をされても我慢しよう。そう心に決めていた私ですが、流石にこれにはカチンと来ました。

 

もし当たっていたら…。そう思うと、怒りが止まりませんでした。

 

私はシャーペンを飛ばしてきたクラスメイトに、「どれだけ自分が危ないことをしたか分かっているのか」と注意をしました。

 

しかし、それがさらなる嫌がらせの引き金をひいたのです。

 

毎日のようにエスカレートする嫌がらせ。靴ひもが切られていたり、画びょうが入っていたこともありました。抵抗したところでさらにエスカレートするだけです。

 

そこにはもう、楽しかったあの頃の学校生活はありません。

 

東工大に逆転合格してやる。

 

その一言が、生活を一変させたのです。しかし、もうこうなったら後には引けません。絶対に東工大に受かって、全員に土下座させてやる。

 

この頃の私は、怒りと見返したい気持ちでいっぱいでした。

 

勉強仲間の登場 高校三年4月

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何一つとして分からなかった2月から、2ヶ月が経ちました。

 

毎日のように睡眠時間を削ってでも勉強していた私は、少しずつ自信が出始めていました。

 

そしてちょうどこの頃、私と同じように成績が悪くて、筑波大学を目指している同級生と仲良くなりました。

 

お互いに成績が悪いなりにも、励まし合い一緒に勉強をして、志望大学合格を夢見ていました。

 

どちらかが得意な単元を教え合い、より上を目指して共に受験と戦っていました。

 

どんどん学力が身についている。

 

そう感じていました。

 

マーク模試で力試し 高校三年6月

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筑波大学を志望している同級生と切磋琢磨し始めて2ヶ月が経った頃、学校でマーク模試がありました。

 

高校二年2月から始めた受験勉強。ここまでの間、勉強以外のものはすべて犠牲にしてきました。そのため、この時の私は自分の学力にそこそこ自信を持っていました。

 

今までの努力の成果をここで出して、嫌がらせをしてくるやつら全員を見返してやる。

 

固く決心をし、ペンを握りしめて模試を受けます。

 

模試の結果と自信喪失 高校三年7月

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6月に受けた模試が返ってきました。結果は、書いた大学すべてがE判定。

 

4ヶ月間やり込んだ勉強も、結果には現れませんでした。

 

自分の成績にショックを受けていた時に、ふと気になりました。筑波大学志望の彼は、どうだったんだろう。早速結果を聞きに行きました。

 

模試の判定を見てみると、筑波大学B判定。

 

同じような成績から、同じように勉強を進めてきた彼は、たった2ヶ月あまりで成果を出したのです。

 

それぞれの科目の得点も、私より何十点も高かったです。

 

すごいな、よくこんな短期間で伸ばしたな。

 

彼にそう声をかけつつも、心の中は嫉妬と悲しみでいっぱいでした。

 

やっぱり自分はセンスがないんだ。色んなものを犠牲にしてでも勉強していたのに、どうして。このまま続けていても報われることはないのかもしれない。

 

不安とイライラと嫉妬で、頭がおかしくなりそうでした。

 

絶望のどん底 高校三年8月

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この時期になっても、相変わらず成績は振るいません。どんどんストレスだけが溜まっていきます。

 

そして、この頃から親と喧嘩をすることが増えました。

 

私は模試の成績を親に見せたことはなかったのですが、親はなぜか成績を知っていました。出かけている間にこっそりと勉強机をあさって、模試の結果を確認していたのです。

 

その模試の結果が原因で、親同士の言い争いも増えました。

 

もう頼むからほっといてくれ。もう構わないでくれ。

 

勉強中も聞こえてくる口喧嘩の声に、イライラが止まりませんでした。ついには、勉強にも集中できなくなりました。

 

そして、相変わらず続く学校での嫌がらせ。自分よりも圧倒的に早く成長する勉強仲間。家での口喧嘩と親からの勉強へのダメ出し。

 

こうして、学校にも家にも、私が心落ち着いていられる場所はなくなりました。

 

心の限界の到来 高校三年9月

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心に限界が近づいてきました。

 

もう無理だ。苦しい。やめたい。

 

いっそのこと、このままこの世界から消えてしまったら、どれだけ楽なんだろう。

 

このまま朝になっても目が覚めなければ、どれだけ救われるんだろう。

 

毎日祈るように考えていました。考えるたびに、涙が止まりませんでした。

 

しかし、周りに宣言までして今さらやめることはできません。

 

こんなにも苦しい思いをしてやめてしまったら、本当に自分は空っぽになってしまう。皮肉なことに、絶望が努力の継続の支えになっていました。

 

この頃の私は、ストレスも不安もピークでしたが

 

とにかくイスに座って参考書を開いて、少しだけでもいいから勉強を継続しよう。

 

そう自分に言い聞かせながら、机に向かっていました。

 

じつは、この「少しだけでもいいから」という考え方が、非常に重要だったのです。

 

この考え方で気持ちが楽になったおかげか、ストレスや不安は大きかったですが、勉強だけは継続することができました。

 

成績向上の兆し 高校三年10月

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この時期から、やっと一筋の希望が見えてきました。

 

マーク模試で、8割を超える科目がポツポツと現れてきたのです。

 

今まで記述模試はもちろんのこと、マーク模試ですら点数を取ることができていませんでした。

 

やっと、やっと今までの勉強が形に現れてくれた。

 

今まで「自分は勉強をしても成績が上がることのないタイプの人間なのかもしれない」とどこかで自分に幻滅していたため、この時は本当に嬉しくて、今でもその感覚を覚えています。

 

心と成績の安定 高校三年12月

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この頃には、マーク形式のテストでは総合で8割以上を取る力が身に付いていました。

 

もうすべて辞めてしまって、何もかもから逃げよう。

 

そう考えていた9月に、なんとか踏ん張った成果が出たのです。

 

そして、成績が上がってくると自分にも自信がついてきました。勉強へのストレスも減り、人に対する過度な嫉妬心もなくなりました。

 

嫌がらせをしてきていた同級生たちも、手のひらを返したかのように優しくなり、仲が元通りになりました。

 

なにより、この頃からは「全員を見返してやる」という怒りの感情よりも、「純粋に東工大に行きたい」という感情の方が強くなりました。

 

結論から言うと、現役では東工大に受からず、一年浪人をして東工大に受かりました。

 

今回、私からみなさんに伝えたいことはたった1つだけです。

 

もしかしたら、今は成績が振るわないかもしれません。志望大学を人に話して、バカにされたことがあるかもしれません。受験があまりにも辛くて、絶望することがあるかもしれません。

 

でも、少しだけでもいいので、絶対に辞めたりしないでください。1秒でもいいです。1分でもいいです。

 

とにかく、どんなに辛くても少しでもいいので、毎日続けることを意識してください。

 

今苦しくても、いつか「あの時やり続けてよかった」と思う瞬間が来ます。